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  • Ena Fujita

知られざる平和な国:愛媛で心身ともに満たされる時間を


Ehime Tricolage
桜シーズンの松山城


桜シーズンを迎えた日本では、コロナ前よりも外国人観光客数が増加。東京や京都などの主要観光地ではオーバーツーリズムの問題も起こっており、地域・観光客両者にとって悪影響が出始めています。

そんなピークシーズンには多くの観光客にまだ知られていない四国愛媛の春を感じてみませんか?




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道後温泉 本館

四国の中で女の国とも呼ばれていた愛媛県は、穏やかな人の優しさと、鯛めしのような美味しい料理など、暖かな温もりに包まれています。

松山市の丘の上から街を見下ろす松山城は、江戸末期から現存する天守閣があり、当時は一度も攻められたことがなかったそうで、まさに平和な伊予国の象徴です。

最古の温泉といわれる道後温泉、国の重要文化財である道後温泉本館は改修工事をしつつ、今もなお松山に訪れる人々の憩いの場です。白鷺伝説にも記される治癒の効果があるとされるため、私も心身ともに回復しました。



伝統産業が息づく内子町で様々な形で受け継がれる伝統文化


松山から車で1時間ほど離れた内子町では、昔から伝統工芸産業が盛んで、代々伝わる家系の人、地元愛のある移住者、文化に感銘を受けた外国人など、様々な人がその文化を継承・広めています。


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「江戸時代から何代にも渡って受け継がれた文化」


内子の大森和蝋燭屋では、江戸時代から6代に渡って和蝋燭を作っており、現在は6代目大森太郎さんとその息子さんが自然由来の素材を使い1本1本手作りで製造しています。

和紙と灯芯(い草のズイ)、真綿で留めた芯に溶けた木蝋を素手で塗り重ねる日本古来の伝統技法『生掛け製法』で作られた蝋燭は太く大きい炎が特徴で、大森家に代々伝わるその技法は今の世代にも確かに受け継がれています。




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「一度廃れかけた文化は、こうして帰郷した地元民に受け継がれた」

内子で多く生産されているクヌギの木から作られる黒炭は、断面の模様から「菊炭」とも呼ばれており、使用時に煙がほとんどでず、主に茶道用道具炭として使われています。

今回は、内子の石畳地域の山田やを見学し、代表の山田さんにお話をお伺いしました。

主に11-3月の冬場に乾燥している時期に伐採して製造しており、その工程も火の温度変化や煙色を確認しながら焼くなど手間もかかるため完成まで約2週間ほどかかるそうです。

山田さんは愛媛県宇和島市出身で東京で勤務していましたが、内子の炭焼き職人との出会いから炭焼きをするために移住し設立しました。一時期は菊炭の生産者が減っていましたが、山田さんのような愛媛県民の帰郷により今も受け継がれています。


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「海外のアーティストとのコラボレーションで、伝統に新たな価値が加わる」

江戸時代から伝わる国の伝統工芸品である大洲和紙、天神産紙工場では、職人さんが1枚1枚手間暇かけて手漉きで作るため制作工程もかなりかかるため、一時期衰退の危機もあったが数少ない職人が守り抜きました。その中、この大洲和紙に伝統的なフランスの金箔工芸技術“ギルディング”を施した「ギルディング和紙」を株式会社五十崎社中がフランスのアーティストと共に開発し、国内外ともに注目を集め、伝統工芸アート作品として展示や販売も行っており、この工場では和紙作りやギルディングの体験もできます。日本とフランス文化のコラボが未来に続く新たな伝統文化の可能性を生み出し、国内外で受け継がれています。


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「自分の地元に還元できることをしたいと思っていた。数年前に師匠との出会いで全てが代わり、惚れた菊炭を絶やさずにその魅力を広く伝えたいと思っている。」と山田さんは仰っていました。


必ずしも一つの家系で代々受け継がれる文化のみが賞賛されているわけではなく、出身や育ちは違えど同じ思いを持って受け継いでいる職人さんは沢山います。

一番大切なのは、その素晴らしい文化や伝統工芸を絶やしてはいけない、沢山の人に知ってもらい後世に残していきたい、という一人一人全ての職人さんの思いです。

今回、様々な形で受け継がれる伝統文化に触れることで、その職人さんの思いが伝わってきました。

是非あなたも実際に工房を訪れ、文化体験を通して職人さんの話を聞けばあなたも内子町の伝統文化の世界観に浸れるでしょう。




穏やかな大洲での城下町ごとホテルで至福の滞在時間を 


松山から車で1時間ほどにある大洲では、想像もつかない贅沢な滞在ができます。


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大洲城

1日城主気分を味わえる大洲城での宿泊や入城セレモニー体験、国指定重要文化財である臥龍山荘での朝食(宿泊者限定)など、ここでしかできない特別な時間となるでしょう。また、大洲市内には古民家を改修した23棟のホテルともカフェや雑貨店もあり、昔ながらの雰囲気が残る城下町での贅沢な滞在もできます。

このような「町家・古民家等の歴史的資源を活用した観光まちづくりの取組」が大洲市は、2023年にGreen Destinations Story Awards にて「Culture & Tradition(文化・伝統保全)」部門で世界1位の表彰を受賞しています。



地域として歴史的価値のある文化財の保全と利用を適切に行うことで地域経済の活性化にもなっており、大洲市での旅行者の滞在が直接的に地域への貢献活動へと繋がっています。


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臥龍山荘



地域の人との支え合いの力で乗り越えるお遍路さん


45番岩屋寺

日本での巡礼といえば世界遺産の熊野古道が有名ですが、四国にもお遍路があります。熊野古道は約1000年の歴史を持つ熊野三山への参詣道ですが、

お遍路は約1200年前に弘法大師(空海)が修行した88の霊場をたどる巡礼で、

その距離は熊野古道(伊勢路160km)より長い約1400kmにも及びます(徳島、高知、愛媛、香川の順にめぐる回遊コース)一度にすべての札所を巡拝する場合は40日ほどかかります。


今年(2024年)は閏年。この年は、通常の1番から番号順に参拝する「順打ち」ではなく、88番から反時計回りにめぐる「逆打ち」が人気だそう。よりご利益があり、弘法大師様に会えるかもしれません。


愛媛には26箇所のお寺があり、今回は44番大宝寺と45番岩屋寺のお遍路を体験しました。


44番大宝寺 お遍路のガイドさんにお借りした正装で準備万端! 菅笠(すげがさ)白衣(びゃくえ)輪袈裟(わげさ)、金剛杖(こんごうづえ)は弘法大師の分身とされておりお遍路特有のものです。

44番大宝寺で参拝をし、険しい山道を歩き45番岩屋寺まで行きました。道中では、森の中で道に迷わないように赤いお遍路札があったり、すれ違うお遍路さん同士で挨拶や励まし合いをしたり、お互いに支えながらお寺を目指しました。


お寺での参拝は、山門で一礼、手水舎(てみずや)で心身を清め、鐘楼堂で鐘を撞く、本堂に参拝、(ろうそくと線香(3本)をあげ、納札を納札箱に入れる。お賽銭を納めて拝礼し、お経(読経、写経等)を奉納する。)その後に大師堂に参拝、納経所で御朱印をいただく、山門で一礼、が手順です。


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険しい山道を進むお遍路さん

2箇所体験しただけで心が洗われるようでした。お遍路さんはこの参拝を88箇所で行うわけですから、全て達成した時の気持ちはお遍路さんにしか味わえないでしょう。


お遍路さん達は、この過酷な巡礼修行を自分の力は勿論のこと地域の人に応援してもらいながら乗り越えています。その表れとして、お遍路さんに食事や衣服をあげたり、車に乗せて宿まで連れて行くなど、「お接待」を受けられる文化があります。私たちもガイドさんに大熊饅頭をいただき、お遍路をしているポルトガル人を車で宿まで乗せていってあげるという、まさに「お接待」を通じて助け合いをしました。



お遍路は、熊野古道より道のりが長く、全て回るのは大変です。しかし周りの人が支えてくれるお接待文化に触れ、神秘的なパワーを感じる1つ1つのお寺で心を込めて参拝するからこそ、旅行者でも体験後に大きな達成感を感じられます。


岩屋寺までの階段にあるお祈りが込められた沢山の像

今回の旅を通じて、伝統工芸や歴史的な建造物、神秘的な巡礼などまだ知られていない愛媛の魅力を知り、その文化を受け継ぎ周りの人に伝えている地域の人々の思いに触れ、私ももっと多くの人へ届けたいと強く思いました。旅行シーズンでも混雑を避けて気持ちよく観光ができ、未知の文化へ触れることができるので、旅行者も大きな満足感が得られると思います。


Tricolageではこのような多くの外国人がまだ知らない旅をお届けし、実際に旅行されたお客様にも高い評価をいただいたいます。是非、私たちと一緒にまだ経験したことのない旅へ出かけませんか?

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