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なぜ「ゆっくり選ぶ」ことを大切にするのか:丹波焼と“心を込めた消費”の価値

  • ysabelgarcia9
  • 8月8日
  • 読了時間: 4分
清水俊彦さんの工房の入り口
清水俊彦さんの工房の入り口

清水俊彦さんの自宅は、静けさに包まれている。彼は静かに、これまでに何万と生み出してきた器に加えるための、ひとつのマグカップを成形していた。家の1階は陶芸工房となっており、棚やテーブルには、丹精込めて作られた器が並ぶ。その一つ一つに、技術と忍耐、そして作り手の芸術性が込められている。その美しさと精緻さは、清水さんの丹波焼の熟練ぶりを自然と物語るが、同時に「買う前にじっくり考える」という、今の時代にこそ思い出したい姿勢を私たちに思い起こさせる。


衝動買いを誘うのではなく、彼の工房は訪れる人に“立ち止まり、観察し、考える”ことを促す。色合い、凹凸、模様──それぞれが唯一無二の個性を持つ器を目の前にして、選ぶプロセスそのものが深い気づきをもたらす。こうした意識的な選択は、清水さんの技と、丹波焼の特別さへの敬意をより一層深める。


丹波焼は「日本六古窯」のひとつで、素朴な魅力と自然との深い結びつきで知られている。兵庫県で800年以上前に始まったこの焼き物は、「侘び寂び」という日本独自の美意識を体現しており、不完全さや儚さを愛でる心を育ててくれる。地元の土は、丹波焼の素朴な色味と力強い質感を生み出し、器に“根ざした”ような安心感と永続性を感じさせる。


丹波焼の一つ一つには、丹波独自の焼成技法という物語がある。清水さんを含む陶芸家たちは、伝統的な薪窯を使う。薪が燃えることで生まれる灰が自然と器に降り積もり、熔けて釉薬となる──火と灰と土が交わることで、有機的で温かみのある色合いと風合いが生まれるのだ。その偶然性ゆえに、まったく同じ器は二つとして存在しない。


清水さんの作品の数々は、彼がこの道に費やした年月と献身の証でもある。彼は19歳ごろから陶芸の道を歩み始め、故・河井寛次郎氏や生田和孝氏といった名匠に師事した。そして現在、80歳になった今は、その技を息子の清水剛さんへと継承している。親子で伝統を守り、丹波焼の灯を絶やすことなく受け継いでいる。


清水俊彦さん
清水俊彦さん

現在、清水さんは視覚に頼って作品の品質を確認しているという。右手が思うように動かず、身体の一部に感覚もない。そうした制約の中でも、彼は窓際に座り、できるだけ多くの光を取り込んで動きを導きながら、静かにひとつの器に集中している。その背景を知ることで、彼の工房に並ぶ一皿一碗の重みが、より深く心に響く。


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大量生産された品が並ぶドン・キホーテの棚で、客が商品を急いでカゴに詰め、免税レーンに急ぐ光景とは対照的に、清水さんの工房では、器を「選ぶ」という行為そのものが静かな意思表示となる。見た目がほとんど同じ皿でも、焼成や、自然から作る灰などの釉薬の違いで片方はよりざらついた仕上がりになっているかもしれない。そうした細部に目を凝らしながら、何を選ぶかをじっくり考える時間が、“心ある消費”につながっていく。


丹波の山間、立杭という陶芸の里に清水さんの工房はある。ここは偶然に通りかかるような場所ではなく、「訪れる」ための目的地だ。だからこそ、ここでの買い物は重みを増す。「本当にこれでいいのか?」と自問しながら手にする一皿は、すでにただの器ではない。あなたがそれを選んだ理由、両手に器を持って迷ったあの静かな時間、それらがひとつの“物語”となり、あなたの記憶の中に生き続ける。


清水さんの工房を訪れるという行為は、単なる買い物ではない。それは“感謝の気持ちをかたちにする”静かな営みだ。利便性が優先されがちな現代だからこそ、丹波の山あいに足を運ぶことは、「時間をかける価値があるもの」を思い出させてくれる。心を込めて選ばれた一枚の皿やカップは、日本の記憶であるだけでなく、その背景にある物語・土地・人々の記憶でもある。


もしあなたが、いわゆる“ゴールデンルート”以上の意味ある体験を求めているなら、少し道を外れてみることをお勧めしたい。私たちTricolageは、日本の「生きた伝統」と出会える体験を大切にしている。ひとつひとつの器が物語を持つように、出会いのひとつひとつにも、あなた自身の物語が宿ると信じている。

 
 
 

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